自閉症スペクトラムの甥

私の甥は、現在、特別支援学校に通う小学校2年。

彼が抱える障がいは「自閉症スペクトラム」。

多動に加え、言葉の語彙もいまだ多くはなく上手に会話することができません。

 

私が彼のことをおかしいと感じたのは、2歳の夏、実家に帰省した際でした。

兄一家は転勤族で、簡単に帰ってこれないような場所に住んでおり、

甥が生まれてからやっと私達が会えたのは2歳になったころでした。

 

2歳ともなると言葉が出始める頃なのに、まったく意味のある言葉を発さず、

また、名前を呼んでも顔を向けない、視線も合わせない彼に一抹の不安を感じ、

じとっと汗が背中に滲んだことを思い出します。

 

しかし肝心の兄夫婦は「発達の個性の違い」という風にとらえており楽観視した様子だったことから、

私も両親も彼の「違和感」については何も言わないことにしました。

 

その後、兄夫婦より自治体が行う「定期健診」で、甥が引っかかったとの連絡があり、

「やはり、私が感じたあの違和感は間違いなかったんだ」と確信したのを覚えています。

 

それからは保健師さんからの指導もあり、週一で「療育」に通うようになった甥。

しかし、相変わらず言葉は発達せず、5歳になってもオムツもとれず、

体の成長と共に多動のアクションは大きくなり、

もう普通の小学校には進学できないことを叔母として覚悟しました。

 

ただ、兄夫婦は甥の障がいを認められず、普通小学校にどうしても入れたいと

教育委員会に掛け合うなどし諦められない様子に、とても切なくなったものです。

今思えば「ランドセルを背負わせてあげたい」という親心だったのでしょう。

 

特別支援学校に通うことが決まったあと、兄は、

自身が両親に買ってもらった同じ色のランドセルを甥に買ってあげたということでした。

決して背負うことのない、使うことのないランドセル。

甥に対する兄の思いに胸が苦しくなったほどです。

 

そんな彼も、現在小学校2年生となりました。

毎日、特別支援学校に抵抗することもなく通っているようで、義姉には適度な休息が出来ました。

また同じく障がいを持つ子供を抱えた家族同士、思いを共感しあったり、

情報を交換できる場ができたことで兄家族は、甥の障がいを受け入れられるようになった様子です。

 

しかし、いまだに教育委員会に「普通小学校に転入させたい」と、

兄がかけあっているということを聞くとまだまだ期待を捨てきれないんだと何とも言えない気持ちになります。

 

そんな兄たちの心配は、甥の将来です。

甥が就労という形で社会に溶け込めること。それが最終目標と言っています。

兄達の思いを受けて、現在、甥の将来が優しいものになるよう、

私もできる形で、できる範囲で啓蒙活動をしたりするなど協力しているつもりでした。

一般社会の人達が正しく「自閉症スペクトラム」を理解すること、それが最も大事と私は考えています。

1人でも多くの人が障がいを理解してくれれば、

必ずや甥をはじめとする「自閉症スペクトラム」の子どもたちの社会における居場所・役割があると信じるからです。

 

自閉症啓蒙意識を表わすシンボルは、パズルでできたリボンの形だそうです。

ひとつひとつのピースはばらばらでも、必ずはまれる場所があるという意味だそうです。

自閉症は、とても特別な形のピースかもしれません。

それでも、彼らにぴったりな場所があることを信じて、

私はこれからも甥と兄家族を支えていきたいなと思っています。


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