人が集まる場所が嫌いでなかった私は、育児サークルにも熱心に出かけていましたし、
その場で同じ月齢のお子さんと比較して我が子の成長を確認している部分もありました
二ヶ月早く生まれたと聞けば、二ヶ月後には、こんなことも出来るようになるのかと目安にしていたのも確かです。
しかし、いつまでたっても、私の子供が言葉らしいものを発することはありませんでしたし、
他のお子さんと比べて、何か違うような様子には気付いていました。
市の一歳半健診よりも早い時期に、相談窓口を頼りましたが、
その時は様子を見ましょうという事で、時間が経つのをただ待ちました。
健診後、私が先生から聞かされたのは「発達の遅れは個人差の範囲内ではありません。」という言葉でした。
頭の中はぐちゃぐちゃで、整理することも出来ませんでしたが、
正直自分の中にある知識ではどうすることも出来ない事態に、思考が止まっていたように思います。
あの日、家までの道のりを平常心で帰る事が出来たのは、事の重大さにイマイチ気付いていなかった・・・。
いや、気付かないようにしていたのかもしれません。
担当してくださった市の方は、お電話をくださったり、活動に参加しないかと声を掛けてくださったり、
いつも手を差し伸べてくださっていたので、私も一人で抱えることなく
その時期を乗り越えられたのだと思います。
それからすぐに医療機関などもかかるようになり、子供は広汎性発達障害という診断を受けました。
泣いて過ごしていたのは本当に最初の時期だけでした。
主人とも助け合う事は当然ですし、何よりよく話し合いました。
その現状を受け入れられない方も多いと聞きましたが、私は主人に
「早く受け入れて、出来る事からしないと。」と言われ、気持ちはすぐに切り替えられました。
「この子が、私達親がいなくなった後も、生きて行けるように、出来る限りの事はしよう。後悔がないように。」
大袈裟なようですが、それが私達の本心でした。
時間が経って、子供の成長を見て思うのです。
私は知らない事が多すぎて、人間的にも全然小さくて・・・。
多分、この子に障害が無かったら、そんな事にも気付かないまま、ただ年をとっていたんじゃないかと。
確かに子育ては健常児のお子さんを育てるより大変だったと思います。
知らない場所で私の手を離して飛び出しても、我が子には恐怖も不安も無いのですから。
今、我が家の絆が深いのは、この子の存在が大きかったからだと思います。
子供が私に教えてくれることは一つ一つが大きいです。
いつも反省をして、感謝しています。
一人では抱えきれない事が噴き出すように出てくると思います。
その都度、自分の意志がどこにあるのかを確認しつつも、頼れるべきところは頼っていいと思います。
親御さんは頑張るけど、頑張りすぎない。
わずかながらも子供は必ず成長を見せてくれます。
その成長がまた親の活力にもなりますから、その成長を一緒に分かり合え、
喜んでくれる人が周りに増えれば、随分と心の負担が軽減されるのではないでしょうか。