発達障害だと気付いたタイミング

発達障害の息子を持つ母親です。

今年の9月で29歳になる息子は2歳半の時に、保健センターにて学習障害と診断されました。

当初は言葉の出が遅く様々な検査をした末に診断されたものでした。

 

初めの診断では「普通幼稚園に行くことはできない」

「小3で知能が止まるだろう」と言われていました。

しかし、療育センターでの必死の訓練のおかげで普通幼稚園、

また小中高そして芸術関係の大学へと進学を果たしました。

 

そんな息子が発達障害と自覚したのはいつ頃だったのでしょうか?

言葉の出という点において、息子はひらがなの「かきくけこ」「たちつてと」を認識できてなかったのでしょうか。

息子が3歳の時に生まれた妹の名前は「ようこ」。

しかし、息子は「ようとちゃん」呼んでいました。

3歳の時、息子とお風呂に入ってるときに練習の末、発音できるようになりました。

 

そして、次に自覚したのは小学校3年の時です。

様々な訓練によって、息子の能力を開花させていこうと考えた私は、

習字、公文などあらゆる習い事させていました。

その中で、小1から小5までスイミングをさせていたことがありました。

水の中で体を浮かすためにつける、腰に巻くカラーヘルパーを装着する際、

息子は紐結びが当時どうやってもできませんでした。

その時のコーチが非常に厳しい人で怒られ、惨めな思いをしていました。

しかし、この時は私と必死に練習し結べるようになりましたが、

紐関係は未だに苦手で、靴も中1くらいまではマジックテープを履いていた記憶があります。

 

更に実は今では普通に結んでいるネクタイも、大学二回生のころまでは結ぶことができず、

ネクタイ着用の際は、誰かに結んでもらっていたようです。

ネクタイが今後、社会人としても必要である故に、必死に練習して結べるようになりました。

 

紐関係がいまだに苦手というのは、ケーブルなどを巻く際など、

人に見本を見せてもらってもあのような複雑な動きを息子の脳は普通の人のように組み上げ、

整理することが苦手なように思います。

 

しかし、本当に息子が発達障害を自覚したのは社会人に入ってからでしょうか。

入社前の3月の春休みを利用して免許の合宿に行った際、人と同じペースで進むことができず、

仮免3回、卒検2回と合宿期間も延長して取得しています。

 

2013年にもう一度、自分で病院に行き、検査をした結果、

「あなたは学習障害ではなく広汎性発達障害です」と診断されました

そして、社会人になってからも、様々なことがあり職を転々する日々が続きました。

 

現在では医学的診断ではADHDということになっており、

昨年5月に精神障害3級の手帳を取得し障害年金の受給、

更にはA型就労、今は就労移行を利用しています。

しかし、今、改めて息子が挑戦を開始したのは、

この発達障害と共に、先日判明した「解離性障害(ヒステリー障害)」です。

これまで社会で仕事を転々としてきた理由がここにあるように思うようになったからです。

 

息子は2015年に自分のこれまでの発達障害で起きた事例を書き上げ整理し、

そこから今の自分のベースができました。

“こういう作業、仕事を覚える際はこういう工夫をしたほうがいい”と言ったことです。

また、この9年間で4回意識を失うことがありました。

 

免許合宿に行った際や、普段では人の話すスピードと同等に打てる

ブラインドタッチなどの力も発揮することなく仕事を辞めざるを得なくなった原因は、

「発達障害による極度の緊張、パニックによるものだろう」と息子は考えていました。

しかし、先日、脳神経外科で初めてMRIを撮り検査をし、

医師から告げられたのは「解離性障害(ヒステリー障害)」ということでありました。

今では、この「解離性障害」の完治を目指しているところです。

 

とにかく、こうして、発達障害と真剣に向き合い必死に努力をして生き抜いている息子を誇らしく思います。

遅咲きかもしれませんが自分らしい花を咲かせることを信じて、これからも見守っていきたいと思います。


アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル




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