23歳にして、発達障害だと診断された。
ADHDで、アスペルガー症候群を併発しているらしい。
受診のきっかけは、「大人のためのADHD」というホームページだった。
ネット上で、発達障害の簡易チェックができる。
結果は黒だった。
そんな馬鹿な、と思い、他の診断サイトも利用してみたのだが、
どのサイトでも「発達障害の可能性が高いです」「医療機関の受診をお勧めします」と表示された。
「じっとしていられない」「しゃべりすぎてしまう」「衝動性がある」
ほとんどすべてが当てはまった。
暫く迷って、半年ほど迷って、精神科の受診を決意した。
大人の発達障害を診てくれる病院は、あまりないらしい。
奇跡的に近場に一軒だけあったので、そこで診察してもらうことにした。
初診の日、先生に「なぜ発達障害だと思ったの?」と聞かれ、正直に答えた。
じっと立っていることができない。
やたらと身体を動かしてしまう。
人の話に割り込んでしまう。
予定の管理ができない。
しなければならないことを先延ばしにしてしまう。
同時に多くのことができない。
嫌なことを何度も思い出す。
などなど、ネットのチェックリストでひっかかった場所をすべて話した。
「なるほど、確かにそうかもしれないね」
わたしは頭をぶんぶん振って頷いた。
「多動もあるね」と言われた。
そういえば、私以外の人は、頷くときに一度しか頭を振らない。
「じゃあ心理テストをしてみようか」
その数週間後、心理テストを行うことになった。
保険がきかないらしく、心理テストの費用は8千円だった。
しかしそれで自分が「何」なのかわかるのなら、安いものだと思い、お願いした。
約二時間。最初に絵を描いた。
「家と木と人の絵を描いてください」と言われた。
普通に描いても面白くないと思ったので、家の屋根から木が生えまくっている絵を描いた。
その後、IQテストを行った。
絵の間違い探しをしたり、口頭で算数をしたり。なかなかに重労働だった。
私もそうだが、相手をしてくれている先生はもっと大変だろう。
そりゃ8千円するだろうな、という感じだ。
数週間後、結果が出た。
心理テストの結果が、グラフになって返ってきた。
できることと、できないことの差が物凄い。
例えば国語力は人並み以上にあるようなのだが、計算能力は全くと言っていいほどない。
折れ線グラフはきれいなWの形になっていた。
診察室に入ると、まずグラフの意味を説明された。
そして、「ADHD」だねと言われた。
その時にはもう自分は間違いなくそうだろうと思っていたので別に驚かなかったのだが、
「アスペルガーも併発しているね」と言われた。
「昔の嫌な記憶を思い出して、イライラするんでしょう。それ典型」と言われた。
そうだったのか。これは、障害のせいだったのか。
昔から、急に過去の嫌な記憶を思い出して、イライラして、不安になる、そういうことが頻繁にあった。
そして、薬が処方された。
副作用は尋常じゃなかった。後頭部がガンガンする。
吐き気がする。食欲がない。涙が出てくる。
しかし、数日したらそれはすっかり影を潜めた。
薬には相性があるらしい。
たまたま私は相性が良かったようで、副作用がなくなってからはよいことしかない。
今までは常に漠然とした不安を抱えていたのだが、それがなくなった。
心の中は常に温かいものに満たされている。
嫌な事を思い出すことも殆どなくなった。
バイト先では、自分が今すべき仕事が何なのかすぐにわかるようになり、
同時に多くの仕事をこなせるようになった。
健常者は、ずっとこんな生活をしていたのか。
私の23年間は何だったのか。
うれしいと同時に、少しだけ悲しくなった。
しばらくして、実家の母に自分が発達障害であったことを告げた。
すると母は、「今まで不登校にもならなかったのにねぇ」と言ってきた。
そりゃ、私だって学校なんか行きたくなかった。
それを許さなかったのは誰なのか。
私が悩みを話そうとすると、「気分が悪いからやめて」と言ってきたのは誰なのか。
私が不登校にならなかったのは、私の果てしない努力の成果なのに。
もし、自分が発達障害かもと思っている人がいたら、すぐに病院に行ってほしい。
病院もピンキリだから、下調べは入念にして。
そして、もし自分の子供が発達障害かもと思っている人がいたら、
やっぱり、すぐに病院に連れて行ってあげてほしい。
薬なんて甘え。
発達障害だとわかったらそれを理由に甘えるようになる。
そういう人がたまにいる。
しかし、子供のことを考えてほしい。
私はずっと23年間生きづらさを抱えて生きて来た。
もしもっと早く障害の存在に気付いていたら、もっと早く薬を飲んでいたら、
あの時いじめに遭わなかっただろうなとか、もっと幸せになれただろうな、とか、色々と思う。
すべての発達障害の人が生きやすい世界になりますように。