娘とADHD

私の8歳の長女がADHDと診断されたのは4歳の時でした。

保育園から何度か凶暴性と衝動性を報告されて、

もしかして・・!と思い担任の先生に聞いてみました。

 

「先生、うちの子はもしかして発達障害といわれるものですか?」と。

先生はすぐに園長先生を呼んできて

「お母さんが少しでも発達障害の事を知っていたら、話が早い。そして対処も早くできる。」

と後日お話をする機会を設けてくれました。

 

そこで検査を勧められ市の保健センターを予約して娘とテストや検査をうけました。

園長先生と話してから2~3か月たっていますが到底受け入れることも理解することもできず、

ましてや夫に相談もできなかったので、1人で抱えて涙の日々でした。

 

たくさん調べましたがまだ受け入れる事も出来ていない状態なので出てくる話が頭に入いってくるわけもなく、

頭に入ってくるキーワードは”障害”、”OOが困難”、”OOができない”、といったマイナスな情報ばかりでした。

育てにくいなと感じたり、意思疎通ができないことをとても悲観的に感じてしまい、

娘の将来が暗く悲しいものと心を痛めていく日々でした。

 

テストの当日先生の口からどんな結果が出るのか不安でした。

きっと何かの勘違いで考えている結果には至らないであろうと言い聞かせ、

娘が受けているテストをじっと見ていました。

 

気になった道具を触りに席を立ってしまったりで、私は恥ずかしくて、

自分のしつけのいたらなさがここで披露されているようで、

目をギュッとつぶってしまい、もう名前も呼び止めることができませんでした。

 

しかし先生はあっさりと席に座らせて、娘の気持ちを掴みきったように、指示をし、課題をさせていました。

私は娘と先生のやりとりをテレビでも見ているかのように見ているだけでした。

 

テストが終わり、娘はたくさんのおもちゃが並んでいるスペースで思う存分遊んでいる間、

先生が結果と説明をしてくれました。

「結果は”ADHDのボーダー”。お母さん1人で苦しかったでしょう。

ほかの小さな兄弟を育てながらよく頑張ったね。1歩ずつ前に進んでいこうね娘と一緒に。」

先生がそう言ったときむせび泣いてしまったのを思い出します。

 

ゆっくりのスピードで時間をかけて私は娘の状態を受け入れ、

途中、衝突はどうしても避けては通れませんでしたが、娘の将来を暗く悲しいものと感じなくなりました。

当時読んだ書籍より、今の書籍はとてもポジティブで前向きなので

彼女が秘めている可能性や才能を伸ばしてやるのが、親の役目だと楽しく過ごしています。


アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル




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