高機能自閉症の20年

我が家の三歳の娘が、地区の幼児検診で保健師から

発達障害(最終診断は高機能自閉症)の指摘を受けて、約20年が経ちました。

 

20年前は「発達障害」との言葉もあまり知られておらず、

最初に指摘された結果を妻から聞いたときは「発達障害」って何?

といった感じで理解できませんでした。

 

何の病気?こんなに元気で動き回っている娘のどこが病気なの?

といった感じで、保健師の「発達障害疑い」との指摘を説明している妻の声を聴いても上の空で、

そんなこと認めないぞといった感じでした。

 

その後、病院で診断してもらうと高機能自閉症との診断をでしたが、

薬物療法は行わず20年が経ちました。

これはその20年の振り返りです。

 

 

振り返れば、診断された頃は、

小さなころは突然走りだしたり、大人と手が繋げなかったりと

ちょっと変わった子供で苦労しましたが、それが発達障害の影響と考えれば納得し、

この子の今後を不安に思っている時に、仕事が転勤になり妻はパニックとなりました。

 

大変でしたが、転勤先の幼稚園の調べた時に偶然出会った

モンッテソー教育のおかげでどうにか幼稚園生活も理解ある先生に

囲まれながら無事に過ごすことができました。

 

でも小学校に入ると周囲との相違が目立つようになりイジメの対象となりました。

夫婦で学校にも出向きましたが、

当時の先生方はまだ発達障害の子供に対する有効な知識も教育方針もないようで

暖簾に腕押し状態で悲しい思いもしました。

 

その個性的な我が家の娘も中学・高校にすすむにつれて

成績にも見事に発達障害児の特徴ともいえる

ある特定の教科は高得点、他はメタメタとその特徴に関心していました。

まあその特徴も特別に凄いわけではなく、

周囲からはちょっと変わったオタクな子として見られているようでした。

 

こんな日々のなか、娘の障害のことを受け入れられず、随分叱って泣かしてしまいましたが、

「しょうがないね」

障害を受け入れることにより娘も落ち着きが増し、

兄弟たちも、おねえちゃんは変わっているから仕方がない

との認識で仲良く過ごすことができています。

 

その娘も、小さなころからなりたかった仕事に進むことができましたが、

やはりちょっと変わった女の子のままです、

職場でも周囲の方々が娘を変わった人だなと思いながらも受け入れてくれているようです。

これからは、大人になった、ちょっと変わった我が家の娘を

遠巻きに見つめながらフォローしていきたいと思っています。


アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル




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