必要なのは家族の理解

我が子が発達障害だと分かった時から、何よりも必要なのは周りの人間の理解だと感じていました。

主人は真正面から私とも、子供とも向き合ってくれたので、お互い支えられたのだと思います。

 

同じ療育施設で出会うお子さんの中にはご主人の理解が得られず、

「ただやんちゃなだけだと思われている」と話すお母さんもいましたので、

私が落ち込む度に助けてくれた主人には感謝しています。

 

まずは、自分の母にどのように伝えようか、どう話せば理解してもらえるのか、そのタイミングを悩みました。

しかし、主人の次に助けてくれるのは自分の母親だと思っていたので、全てを、順を追って話しました。

 

母は、今まで大変だったねと私を想った言葉と共に、出来る限りの事を一緒に頑張ろうと理解を示してくれました。

その後も母は何かと気にかけてくれ、毎年、運動会には仕事を休んででも見に来てくれるようになりました。

年を追うごとに目に見えて分かる子供の成長に泣きながら感動し、頑張ったねと嬉しそうに帰って行きます。

 

父は、昔ながらの人・・・といいますか、頭が固い性格だったので、

見た目に分からない障害を受け入れてくれるのかどうか、伝えた今でもその反応は分かりません。

元々愛情表現が下手な人なので、そ知らぬふりをして、子供の事を見てくれているのは感じています。

否定的な事は無いので、関係に問題も起きていません。

事実を伝えていなければ、父にも違和感を与えていたかもしれませんが、私は今の状況で満足しています。

 

主人の両親にも、伝えておくべきだと思っていましたが、

長男だ、跡取りだと出産すぐから言われていたので、余計に話す事に躊躇ったという事はありました。

それが仇となり、そのタイミングは、こちらから切り出す前に、義母の一言で幕を開ける事となりました。

 

主人の実家に遊びに帰った時の事です。

いつまで待っても、言葉らしきものを話さない子供に対して義母は

「しばらく預かろうか?私が育てたら、言葉もすぐ出てくると思うよ。」と・・・。

特に悪気はなかったと思います。

ただ真剣に、子育てをしてきた母親の先輩として、

自分のやり方なら言葉を話すようになると本当に思っていたのだと思います。

 

私も義母の性格は分かっているつもりでしたし、主人も義父も、それに悪意はないと話してくれました。

しかし、子供の障害と向き合い始めたばかりの私に、それを受け止めるだけの容量はありませんでした。

私の怒りが爆発してしまう前に、慌てて主人が発達障害の話を始めましたが、

義母は「障害児だと思って育てるから、子供がそんな風になってしまうのよ。」

と追い打ちを掛けました。

 

堪えきれなくなった私は、「ここには二度と来ません。」と席を立つことで、怒りを抑えました。

そこまで来て、義母は事の重大さに気づき、話を真剣に受け入れてくれるようになりました。

 

義母は本当に裏表のない人で、嫌味などではないと今なら分かるのです。

義母もまた、その時は孫が生まれた嬉しさだけで私達の気持ちなど考えてなかったのだと思います。

 

子供は成長します。

成長が追いつかないと、母親経験者なら目に付くことも多いと思います。

そういった時間の中で、義母は理解を示してくれるようになりました。

口に出して言ったりはしませんが、「なぜ分かってくれるのだろう」と思う事がしばしばありました。

多分、本などを読んで子供の事を理解したいと、勉強してくれているのだと思います。

あの瞬間は、目の前が真っ暗になりましたが、今は頼れる家族です。

義父もそんな経緯もあってか、子供の事をよく見てくれています。

 

親の時代に聞き覚えのない「発達障害」という言葉を理解してもらう事は難しいと思っていましたが、

ぶつかってでも分かり合えたことは大きかったと思います。

私達夫婦だけではどうにもならない場面も多いです。

家族で支えられるのはありがたいことです。


アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル




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