どこまでが「障害」で、どこまでが「性格」か…?

私はとあるサークル活動にて、幼児や小学生の児童を相手に指導したり、

面倒を見たりすることに携わっており、児童の中には、発達障害の子供も含まれております。

また私自身も、診断済みのアスペルガー症候群であり、

発達障害者向けのグループホームで生活をしており、他の発達障害者とともに暮らしております。

そのため、私も含めた発達障害者たちの、一人ひとり違った、

多様な症状の出方や行動パターンには、日常的に触れる機会が非常に多いです。

 

大人から子供までの、そのような発達障害者を見てきて、つくづく感じることなのですが、

「これって障害なのか?」と思うようなことが多々あります。

「トイレのドアは静かにきちんと閉める」「使った食器は洗って元の棚に戻す」

などの「しつけ」の範疇や

「人の話をしっかり聞く」「目上の人を敬う」「指示されたことをしっかり守る」

などといった「モラル」の範疇が、全くもってできていない人たちが非常に多いのです。

どこまでが「障害」で、どこまでが「性格」なのか…

そういった人たちの自己中心的な行為を目の当たりにしていると、

同じように発達障害を抱えている私ですら、その線引きが分からなくなってしまいます。

 

人が生きていくために大切なものは、たとえ障害があろうとも、

できうるかぎり少しでも学ばせるべきだと私は思います。

障害の当事者である彼らは「障害」を言い訳に、そうした機会から逃れようとし、

親御さんや世話をする人たちは、彼らの「甘え」や「反抗心」といったネガティブな「性格」ですら、

全て彼らの「障害」に一括りにしてしまい、大切なことを学ばせる機会を疎かにしているのではないか

と私は感じてしまうのですが、皆さんはいかがでしょうか?

 

サークル活動に参加している子供たちの中にいる発達障害児を見ていても、

じっとすることができないという特有の症状は理解するべきだとは思いますが、

指導する大人に対して、反抗的で舐めた態度を取った場合には、

他の子供たちにも示しをつけるためにも、厳しくしつけるように、私は努めております。

 

「やってはならないこと」「守るべきこと」をできうるだけ身につけるには、

やはり、発達障害者であろうとも、一度厳しい環境に身を置くべきではないでしょうか?

障害があろうとなかろうと、厳しい環境を経験していない人たちは、

どこか甘えがあったり、世間や人を舐めた態度を取ったり、自己中心的なところがあることは、

日常的に様々な人と出会っていて感じております。

 

発達障害者といえども、決して学習能力がないわけではありません。

私自身も、これまで社会の厳しさに身を置き、そこで自分なりにいろいろと学んできました。

障害があるからといって決して甘やかさず、直すべきところは直してゆくことが、

彼らの将来のためにも必要ではないかと思います。


アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル




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