発達障害の私が学校へ行くのが嫌だった、本当の理由

私は現在40代後半、1970-80年代の間にかけて、小学校から高校まで通っていました。

現在でこそ発達障害児に対する理解やケアがしっかりできるようになってきましたが、

私が学校へ通っていた当時は、そのような児童へのケアはおろか、

発達障害という概念すら存在しませんでした。

 

ここでは、そんな時代に私が学校へ行きたくなかった、

その大きな理由について、述べてみたいと思います。

 

 

○個人をスクールカーストに組み込ませようとする学校環境

学校での人間関係はよく、集団主義や横並び意識、

そして同調圧力という言葉で表現されがちです。

しかし、当時の私を思い返してみると、学校生活で何が嫌だったかというと、

上記の点が嫌だったと言うには、ちょっと違和感を覚えます。

 

むしろ、力のある者を頂点に、

個人個人がそのクラスにおける上下関係に組み込まれてしまうことを許す環境と、

常に私が最下層の序列に位置付けられてしまうことが嫌でした

もともと集団生活を好まぬ私にとって、それは苦痛以外の何物でもありませんでした。

 

 

○誰も味方のいない、悪意に満ち溢れた世界

自閉的で内にこもりがちで、何をするにも気後れする私は、

クラスの中では、格好のいじめのターゲットでした。

私は、悪口、仲間はずれ、騙し、暴力などのあらゆる手段のいじめは、一通り受けていました。

にもかかわらず親は、的外れな叱責ばかりして、

最下層の序列ゆえの差別やいじめに真正面から向き合おうとしませんでした。

 

学校には、威厳のない教師や無責任な教師しかおらず、

教師自体、生徒や児童から舐められていました。

一方で、人気取りのために、率先して差別やいじめを煽る教師もおり、

私はどこへ行っても孤立して、誰一人助けてくれる者はいませんでした。

 

以来、私は他人を信用せず、親にも反発するようになりました。

そのことは、後々社会に出てからも、大きく尾を引くこととなりました。

 

 

○さいごに

小学生の頃には、すでに

「もしも楽に死ねるのであれば、今すぐにでも死にたい」

と思ったことが、何度もありました。

死ぬときに痛み苦しむのが嫌なので、自殺する勇気がなかったため、

幸い今に至るまで、何とか生きながらえております。

しかし、少しでも死の苦しみの方がましだと、あの頃思っていたのなら、

今頃私は、影も形もなかったことでしょう。

 

近年、発達障害という概念も定着し、手厚いケアもなされるようになりました。

そのことによって、私のような苦しみを受ける子供が

今後、一人もいなくなることを願うばかりです。


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