場面緘黙症

小学2年生になる女の子の母親です。

幼稚園の年少組の頃に場面緘黙が発覚しました。

発覚してからは、熱心に色々調べたり教育センターへ通ってみたり、

言語の先生に会ったり緘黙に強い小児科へ行ったりと…あらゆる事をしていました。

勿論、そうしていく中で悪くなる事もなく…良くなることもなく…。

ただ、変わらない毎日を過ごす…という事だけでした。

 

私は、1人の母親として彼女の為にと取っていた行動というものを振り返ると、

ひとつの大切な事。

ひょっとしたら最も大切にしなくてはならない事を、見失い行動していた事に気づきました。

 

ありのままの彼女を受け入れるということ。

口では、話さなくていいよ?。大丈夫だよ。と言いながら。

私は話せるようにさせなくてはという行動を取っていたということ。

彼女自身を、可哀想な子に私がつくり上げていたのかもしれない…と思いました。

 

私は、私自身が小学3年生まで娘と同じ場面緘黙でした。

生活環境や時代もあって、親や先生から場面緘黙と言われたわけでもなく…

気づいてもらえてたかどうかもわかりません。

だけど、困ったり、泣いたり、不安になったり、1人でいた事はよく覚えています。

 

何がどうなって克服したのか、話せる様になったのかは未だに分かりませんが…

未だに、大人になり私自身32歳になった今でも自己主張や、意見交換などは苦手です。

自分は、自分の両親に変な子。と言われ育てられてきました。

貴方はこうだから、こうなのよ。

貴方は自分の意見を言わないから、こうなるのよ。

自分の気持ちは言葉にしないと相手には伝わらない。と…

 

私は、自分の娘が緘黙であると知った時自分がして欲しかったこと、

気づいてほしかったこと全部してあげようと思いました。

娘を育てながら、自分も克服しようと思ったからです。

まるで、小さい頃の自分を育てるように…

行きたくないなら、行かなくていいよ寂しくない様に…。

1人になるのと、1人にされるのは全然違う。

沢山、周りに人が居るのに寂しいと感じながら大きくなった私は…

誰かがいてくれたらそれでいいわけではないのをよく知っているから。

 

そのままでいいよ。

と言葉と行動で示してくれる誰かがそばに変わらずいてくれたら私は、

今より少しは自分を認め、今より少しは自分を好きでいれたのかもわかりません。

 

言葉は時として、正論は時として、相手を深く傷つけるということ。

言葉が全てではないということ。

人は、いつだって何かと戦いながら生きているということ。

逃げてもいい。迷ってもいい。

時間をいくらかけてもいい。貴方が自分を少しでも好きになってくれるなら。

どんな貴方も、私は変わらず大好きなんだから。


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