発達障害における精神との関係

発達障害といえど、この言葉は奥が深く、なかなかにして人に理解されにくいものです。

同じミスを繰り返す。

このような事から、ふと人とは違う事に気付かされるものですが、

それまでは自分が発達障害なるものである事に気付かない者の方が多いのかもしれません。

 

発達障害からなる精神障害へと繋がり、そして統合失調症なる病気の判断を受けるようになるものです。

統合失調症など代表的な病状は、精神科の医者も今もって治し方が解らず、

投薬治療をかねて何年もかかります。

 

この基となる発達障害は、自覚症状があるかどうかという事は大きく差があります。

それを受け入れて、そして社会へ出るという事へ恐れを感じない人の方が

より長く社会生活を成功という形を取られるようです。

 

しかし、それを拒み、病なら治す。と、強い念を抱く人の方が、

生活を難しくさせ、症状をより複雑化させる傾向が多いようです。

 

発達障害にもいろいろな形が有り、総称して言える事が、

人と人とのコミュニケーションに難を置かれるのが現状です。

また、社会にも障害者に対してはこの国はかなり後れを取っているように見えます。

 

ここで言う社会というものは何か。と言う事ですが、

この国では一般的には働く事。と位置づけているようです。

しかし、家の中には問題が積載されたままで、働いているから。と、満足している人もいるようです。

 

ここで考えられる事は、社会そのものとは何者であるか。と言った事です。

外に働く事だけではないと私は感じます。

つまり、家の中にいたとしても、家の事、それに付随するご近所づきあい。

そして、そのまま高齢化した時の親の介護。

と、家庭における生活でも、十分な社会における生活ではないのかと思います。

 

それまでは親にしてもらっていた家の事の生活。

ゴミ出し、マンションなどの共益費、食費、公共料金、から、新聞の契約、住民税、国民健康保険。

など、自分が気付かないところまで、様々に手のかかる事があります。

 

それから地域の行事、その役が回ってきた時。

そして、立場が逆転してしまった親の介護。

これらの事を行えるようになる事も立派な社会生活だと私は感じています。

 

私は、そのような方々を見てきましたが、総称して言える事があります。

それは全てを背負う必要はないという事です。

国内にも福祉が存在し、本人が困っている事に関しては救済する方法がいくつもあります。

 

自分の事を自分で管理できない。

そのような者にもそれだけ自由は奪われるものの、手をさしのべてもらえるものです。

本当に困った時には、我を張らずに甘えるのも私はそれで良いと思います。


アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル




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