自分がADHDと気がついた時

私は大人になってから自分が発達障害のひとつであるADHDであることがわかりました。

もともと、小学生のころから、周囲と溶けこまず

一人で遊ぶことがほとんどで、友達ができない子供でした。

 

心配した先生がクラスのある子に頼んで友達になってあげて欲しいと頼んだそうです。

その子とは趣味もあい本当に仲良くなったのですが、

私はその子が他の子と仲良くし始めると非常に腹がたって大げんかしてしまうような子供でした。

今思えば、そうした一方的な執着もADHDの特徴のひとつであったと思います。

 

中学生になると、そうした性格が災いしてしまい、私から友達はみんな離れていってしまいました。

運動も苦手だったため、体育中は私のぎこちない動きが面白いのか

クラスメートから失笑の対象になってしまいました。

これらのことから中学でも友達を作らなくなり、高校、大学と完全な対人恐怖症に陷ってしまいました。

 

しかしながら、不登校になったりはしませんでした。

学生時代は友人関係がなくても、勉強したり趣味の絵を描いたりすることに没頭することで

平和に過ごしていたと思います。

 

ところが、大学を卒業してから最初に就職した会社でのことです。

その会社では事務を任されたのですが、私は電話の話を覚えられず

電話をしながらメモをとることができないことに気がついたのです。

作成する書類もすべて誤字だらけで話にならないということで

入社してから2ヶ月ほどで退職してしまいました。

その後も、いろんな会社を転々としたのですが、結局メモをとれない、ミスが目立つ、

ということで長続きしませんでした。

 

その頃から自分でどうしてこんなに不器用なのかといろいろ悩んだ結果、

たまたま本屋さんで売られていた発達障害の本を読み、自分の症状と合致していたのに気が付きました。

調べて行けばいくほど、ADHD特有の注意力の散漫や対人依存など

当てはまる部分が非常に多く実際に精神科の先生を受診したところ

軽度のADHDとアスペルガー症候群であると診断されました。

かといって発達障害については治療するための薬はないので

うまく生き抜いていく方法を考えないといけませんでした。

 

そこで、なんとか自分の長所を伸ばせる仕事につくために努力しました。

とくに発達障害は過集中ですので、単調で同じ作業の繰り返しであるデーター入力などの仕事は

自分にはあっていました。

さらに職場についても少人数の場所をなるべく選びました。

収入自体は少ないですが、自分が発達障害であるとわかってからは

自分の能力が生かせる仕事をちゃんと選べるようになりました。

 

発達障害への理解は最近になって進んできましたが、

結果的に社会は発達障害に配慮してくれるわけではありません。

発達障害者は自分の力で自分にあった生き方を作っていかなくてはいけないと思っています。


アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル




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