大人になってから分かった発達障害

私が「発達障害」の診断を受けたのは、50歳を過ぎてからでした。

メディアで発達障害のことを頻繁に取り上げていたので、

不眠症で通院していたメンタルクリニックの医師に相談しました。

 

医師の返事は「二年前、ここに初めて来たときからその症状は出ていました」。

それは私が「精神障害者」という宣告をされたような気持ちでした。

 

幼いころからの記憶をたどると、いくつか思い当たる節はあります。

「他の子と比べて動作がのろい」

「時として、人とは違う行動を起こす」

「友人が作れず、いじめのターゲットにされる」

いろいろ思い出しては発達障害の諸症状があらかさまに出ていたのです。

 

私の子供時代は「発達障害」という障害名は知られていませんでした。

私の行動や様子を見ていた親や親戚からは「グズ」「のろま」「もっとしっかりしろ」

などのレッテルを貼られました。

 

それでも小中学校は普通学級に通うことが出来ました。

高校も、公立高校の受験に合格し、通うことが出来ました。

 

親からの躾は厳しかったです。

私のオツムが弱いせいか、言われたことへの反応がのろいせいか、

かなり感情的に走る傾向がありました。

将来自分が困らないようにとの厳しさもあったのでしょう。

 

高校を卒業してから、地元企業に就職しました。

当時は「障害者雇用枠」という制度はありませんでしたので、

一般の人と同じように仕事をしました。

 

それから数年は安定した状態が続き、心身共に問題ない生活を送ることが出来ました。

二十歳を過ぎ、自立心が芽生え、一人暮らしを意識するようになると、

親や親戚の目が厳しくなりました。

特に親戚からの目が異常なほどに厳しいのです。

 

私の両親は身体障害者で、私がいなくなったら誰が親のことを見るのかとか、

お父さんとお母さんがかわいそうに思わないの? など言われました。

みんな親目線でした。

 

じゃ、私は何?

結局私という存在が認められてもらえない、という絶望感もありました。

恋人が出来ても、意見の食い違いや意思疎通が出来なくて出会いや別れを繰り返してました。

 

結婚も脅迫同然にされたため、相手の思うつぼでした。

私を自分の思う通りにならないと暴力を振るわれ、パニック状態になりました。

さすがに親に相談して、家庭裁判所に離婚調停の手続きをして、離婚できました。

 

その頃から発達障害の特性が極端に出始めました。

仕事に集中出来ないかと思えば集中し過ぎによるパニックや酷い疲労感、

タスク作業をすると混乱しやすい、聴覚過敏、

整理整頓が上手に出来ない(これは子供時代からありました)などです。

 

仕事に関しても、他の社員さんとの協調性が取れにくくなり、ケアレスミスも多発、

ついには会社に居づらくなり、やめることになりました。

 

その後、障害者雇用枠で就職するも

「もっと仕事が出来る人かと思ったのに期待が外れた」と言われ、一週間で解雇されました。

悩んだ末にメンタルクリニックの医師に相談した結果、就労継続支援A型の職場に就職出来ました。

仕事に関しては、今は問題なくこなしています。

 

だた、再婚した相手は発達障害者というより、「私そのもの」との付き合い方が難しいらしいです。

今は発達障害の話がメディアに多く紹介されているので、色々な情報が入って来ますが、

その当人を目の当たりにすると、どう接していいか、

夫婦でも大変な課題を突き付けられた心境でいるかも知れません。

 

ただ、夫からいつも言われていることは

「考えすぎないこと」「いつも優しい気持ちを持つこと」「笑顔を忘れるな」です。

苦手な家事は夫の手助けもあり、苦戦しながらも何とかなっています。

こんなヘンテコな私を支えてくれる夫には「感謝」です。


アスペルガーADHD発達障害改善マニュアル




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